鍋野(なべの)手漉き和紙について
2014年、日本の和紙がユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。ここ佐賀にも300年以上続く手すき和紙があります。いずれも手作業でつくられています。一つは「名尾和紙」(佐賀市)、もう一つは一度すたれたものの地元有志で復活された「鍋野和紙」(嬉野市)です。当方はその鍋野和紙復活、保存活動に参画応援しています。
概略
昭和38年以降途絶えた塩田町の伝統産業「鍋野手漉和紙」を再興し、塩田町の歴史、伝統文化、職人の技の認識を地域から町内外に浸透させ、塩田町のイメージづくりを目指して復興。塩田町は職人の街ともいわれ、今に残る町並みは風情があります。塩田町鍋野の減反田で栽培され、塩田町の歴史・文化・自然により育てられた鍋野産100%のコウゾ(楮)を原料として、栽培から手漉き和紙完成までの一連の流れを一手に実施する場所も全国的にも少ないといいます。
歴史、背景
その昔、石工が多く、職人のまちとして知られる嬉野市塩田町。塩田川の清らかな水に恵まれたこのまちでも手すき和紙づくりが行われました。江戸時代、名尾地区で修行した人がまちでその技を伝え、農家の副業として鍋野地区を中心に紙すきが広まります。大正時代初期には鍋野地区の8割の家が紙すきをし、年に3万余貫(1貫は3.75㎏)を塩田港から長崎方面へ積みだしたといいます。
「鍋野和紙」もひきが強く、障子や傘、提灯の紙に使われましたが、昭和時代、洋紙の普及とともに需要は減少していきます。昭和55(1980)年、最後の職人が紙すきをやめ、とうとう「鍋野和紙」は途絶えてしまいました。
しかし、平成12(2000)年、「地域の伝統産業を復活させよう」を合言葉に嬉野市商工会(当時は塩田町商工会)と地元有志等が手すき和紙を復活。現在、工房をつくって不定期に実演や紙すき体験を行っています。
豆知識
和紙づくりでは今も匁(もんめ)という単位(1匁は3.75g)が用いられます。用途や使い手の好みによって紙の厚さは異なります。
嬉野市の隣町、鹿島市には、伝統的織物「鹿島錦」という和紙を原料にした織物があります。以下の写真は、鹿島錦で織られた長財布です。非常に豪華、美しくその手仕事を見ると、気を失います。意外に知られていない日本の伝統美、京都の織物にも負けない非常に美しい鹿島錦です。きっとネ。必見の価値があります。佐賀に来たら絶対にみるべきものだと思います。アーティスティック佐賀を堪能すべきです。
手漉き工程
楮(こうぞ)という木からつくられた繊維の塊を水と混ぜ合わせ、よくかき混ぜていきます。
糊の具合、水加減など諸々の要素を加味して準備を進めます。
簾(ス)というきめ細かな道具。この簾をつくる処も、まれ。繊細に構成され、腰が抜けるほど高価。この簾の上に、和紙を置いていく、薄く水状の和紙を何層も重ねていくイメージです。
障子紙ほどの大物を漉きあげたばかりの状態の和紙です。水分を落として、乾燥させていきます。
和紙についての新たな取り組み
新商品の開発を練っています。ご期待下さい。